居ぬ

リビングには常に君がいたので、人は夜中誰かの気配に慄くのが通常だろうが、対して僕は誰の気配もしない静けさに恐怖を覚える。恐怖の正体は寂しさであるかもしれない。まだ君がいないことを実感したくないのだ。君のための水桶であったり、マットやスロープだったり、それらは君のいなくなった日のうちに母親が片してしまった。僕はそれらがあったときと同じように避けて歩いてしまう。君はいつもと違い利口にしている。僕は君のために起きているのだから、汚しても鳴いてもいいというのに。

老いる国

年をとりたくない。そう思うことが増えた。バイトでペアのおばちゃんが定期的に腰をさする様。そこへ苛立ちを早歩きで表現しながら入店し、マイルドセブンだとかキャスターだとか、昔の呼び名で注文するおっさん。栄養ドリンクを毎回五本飲む夜勤の男。それらに自分の未来を見るわけではない。僕はおばさんにはならないし、煙草も吸わないし、栄養ドリンクの味が嫌いだ。

 

今日は9時間のロングパート。馬鹿げている。土曜日が一瞬で溶けてしまうなんて。辞める打診は終えているが。

 

僕が年をとりたくないと感じるのは、バイトの時間が刹那に過ぎてゆくことだ。家で趣味活動をしている5時間とバイトの5時間は同じ次元で動いている筈なのに、後者は明らかに5時間より短い。年をとる、つまり就職したのち長期勤続するということはこれの反復だ。人生丸ごと溶けていく。

 

子どもの頃から、具体的には小学生の頃から、「早く大人になりたい」など子どもじみたことを考える子ではなかった。今も昔も、僕はずっと子どもでいたいと思っている。大人なんて人間ではない。どいつもこいつも若いくせ、老後を危惧している。

 

なぜ日本人は休めないのか。高人口密度の島国において、一人一人にそんな多くの仕事が伸し掛かる筈あるか。システムが、世相が、国民性が、時代が…兎も角何かしら問題だ。

 

朝の鉄道で人身事故が起きた際、ネット上で自殺者へのバッシングが顕著になる。何が狂っているのか今のところ分からない。

ひともしごろ

2時間ほどツタヤにいた。

自動ドアが開くと、ポーチに滞っていた空気が風となって流入してきた。雨の匂い。手動の扉を押して外に出る。まだ降っているのかと思ったが、これはアスファルトに染み込んだ匂いであった。すっかり日が落ちた。しかし星はなく、空はすべて曇だと分かる。雨の匂いに、ドーナツを思わせる甘い匂いが混じった。正面のティンカーベルというパン屋だ。それで漸く朝から何も口にしていないことを思い出した。(朝、と言っても起きたのは14時で、僕は日曜日をまだ6時間しか消費していない。僕はその時間が何時であれ自分の目覚めたときを朝と呼び、眠るときを夜と呼ぶのだ。)ドーナツが食べたくなった。ティンカーベルはとっくに閉まっていて明かりも落ちていた。少し戻ればミスタードーナツがある。しかしミスタードーナツは飽きるほど食べた。ドーナツという単語を見れば口がミスタードーナツのオールドファッションの味を思い出すくらい食べた。なんなら匂いまで忠実に再現し、実際に食べたのと遜色ないような疑似体験ができる。異なるのは胃にそれが入ったかどうかくらいのものだ。それに早く家に帰りたいという気持ちもある。ドーナツは日曜日を有意義に消費したいという気持ちのいわば口実で、実のところ僕は家に帰る以外の予定を持ち合わせてはいなかった。そういえばツタヤに入る前は"みはら"で生大福でも買って帰ろうかとも思っていた。ツタヤに来たのだってそう。持ってないミスチルのCDを片っ端から借りたのもそう。予定らしい予定をたてて、それらしく遂行した、日曜日という時間に意義を持たせたかっただけだ。ああDMMカードでも買って帰ろうか。秋でもないのに最近寂しいんだ。

退屈は果てしなく、僕の寿命より永いんだ。

英会話塾の先生

子どもの頃通っていた個人の英会話塾のことを思い出した。

教室は先生の自宅で、生徒は僕を含め3人。と言っても曜日ごとにクラスがあったらしく、全体では10人くらいいることを何となく知っていた。

先生の名前はミカ。英語の授業のため僕らは呼び捨てしていた。ミカにはアメリカ人の夫と、5才くらいの息子がいて、僕らはどちらとも頻繁に接した。

僕は英語が好きだった。だから塾の雰囲気も、ミカも好きだった。他の塾を入っては辞め入っては辞め、通信教育を始めては溜め始めては溜めしても、ミカの塾をサボることはなかった。

中学に上がっても僕らは引き続きミカの塾に通った。入学してすぐ、僕は優秀であった。英語の成績は特によかった。しかし学年が上がるにつれ、みるみる下がっていった。やがて僕は英語の授業を億劫に感じるようになった。

僕は英語ではなくミカの塾が好きだったのだと思って、それから英語とまともに向き合うのをやめた。

僕らは中学卒業と同時にミカの塾をやめた。それから何年かしてミカ 一家がアメリカにある夫の実家に越したことを告げる年賀状が届いた。

 

子どもの頃、大人という生き物は、子どもじみた望みを一握の砂ほども持っていないのだと、漠然とそう感じていた。今にして思えば、ミカは幼い頃から外国人との結婚と移住を夢見ていて、描いた通りそれを実現させた夢追いだったのではないか(だとすれば僕が出会ったときその夢はほぼ達成されていたことになる)。夢がある。それが生きる原動力に、活力になる。実際、ミカは年より幾つも若かった。

まあそれだけなんだけど。

バンドマン

もう20時か。

エレベーターを降りると、外はもう夏の匂いがしていて、空気は温く、適度に湿っていた。

 

カエルは一匹が鳴くと、他も一斉に鳴き始めた。それがいかにも生き物らしいと思った。

 

技術はない。ないくせに12万のギターを背負った。右腕でカシオの古いキーボードを抱えて、左肩からリュックを提げた。

 

才能もない。歌を作るが自己満足の域を出ない。歌唱力も乏しい。

 

秋口には例年の通り、とうとう雌を捕まえられなかった数匹の雄ガエルが、声を枯らして鳴き続けるだろう。夏の間ずっと鳴いていたせいか、元々そういう声なのか、果たして分からないが、到底アマガエルとは思えない、カラスのような声だ。

その歌は酷く汚い。彼らはカエル社会の落ちこぼれだ。見るだけの夢を見て死んでいく。

 

Mr.Childrenを聞こう。大好きなバンドだ。

 

Mr.Childrenを歌おう。そしてMr.Childrenになるんだ。

バイトマン

 起きた。バイトがあるために起きてしまった。本当は日が沈むまで寝ていたかった。

 

生活があるために仕事をするのか、仕事をするために生活があるのか。鶏と卵にも例えられそうな議論が脳内で交わされた。でも、すぐ閉じた。

 

ぐでたまの何が可愛いんだか僕には分からない。トイレの壁掛けカレンダーのそれは僕が買ってきたものではない。しかし代案もない。

 

コーヒーを買う女はいるが缶コーヒーを買う女は滅多にいない。缶コーヒーは臭いしまずいし僕も最近はタリーズブラックしか買わない。タリーズブラックでさえ好ましくない。香料で無理矢理コーヒーらしさを出している、そのためとても人と会話などできない口臭が完成する。でも他に飲める缶コーヒーがないし、開拓する意欲も湧かない。

 

楽しいことをしたい。

 

友達とおもだかのお好み焼きを食べたい。家族でディズニーシーに行きたい。スタジオで一日中ギターを練習したい。カラオケで店員がうんざりするほどの大音量で歌いたい。朝から晩まで寝ていたい。

 

しかし、僕は、バイトへいく。